【転職エピソード①】新卒で生産管理に配属~1度目の転職を決意するまで

とっちゃん

こんにちは、とっちゃんです。

久しぶりのブログ更新となってしまいましたが、私が新卒でメーカーの生産管理に配属されてから一回目の転職をするまでの経緯をブログにまとめました。

「誰が興味あんねん!」と思われるかもしれませんが、私の転職エピソードはシリーズとして執筆していこうと思います。

どなたかの参考になれば幸いですし、エンタメとして楽しんで頂ければと思います。

目次

メーカーに入社し「配属リスク」の洗礼を受ける

メーカー大企業には、自分のいきたくない部署に配属されてしまう可能性、いわゆる「配属リスク」が伴います。メーカーに関して言えば、大きく以下の2つのリスクがあります。

①地方工場への配属リスク
②職種に関する配属リスク

私は入社前に「本社勤務の営業職」の希望を伝えていましたが、私は見事に上記2つのリスクをくらい、「地方工場の生産管理職」に配属されることとなりました。

配属が決まった時はもちろんショックでしたが、受け入れるしかありませんでした。

仕事の負荷・プレッシャーに耐えられず適応障害になる

私が社会人になったのは2011年の震災のあった年。インフラ関連のメーカーであったため復興需要で多くのバックオーダーを抱えた上に、設備のダメージにより生産は制限され工場はキャパオーバー。生産管理としては難しい状況でした。

加えて、新卒のため自身の仕事の効率も悪く、毎日深夜まで残業続きでした。私は仕事の負荷やプレッシャーに耐えきれず、職場で倒れ、精神疾患の1つである適応障害と診断され休職することになりました。

休職が決まってから、情けない自分を責め続ける日々。消えてなくなりたいと思う程に思い詰めていました。

休職期間中、私はメンタルヘルス関連の本をひたすら読み漁りました。その中で私に刺さったのは「自分にも他人にも期待しない」「落ち込むのは自惚れているから」というものでした。

理想と現実のギャップがあるから人は落ち込む。出来ない・失敗するのは、それが今の自分の実力であり、それ以上でもそれ以下でもない。今の自分の実力を謙虚に受け入れて前に進むしかないと学びました。

また、当時の私を救ってくれたのはオカンの「辛かったら仕事辞めてもええやん。いつでも帰っておいで。」という言葉でした。この言葉をきっかけに私は、

・仕事辞めても帰る場所がある、もう少し頑張ろう
・とにかく3年間は耐えて、最速で工場の仕組みを学ぶ
・3年経ったら営業に異動願いを出し、叶わなければ転職で営業に転身をする

と決めました。それにより私の適応障害は改善に向かってきました。

3ヶ月の休職を経て、別工場の生産管理へ配置転換

3ヶ月の休職期間を経て、転勤で別の地方工場の生産管理への配置転換という形で再スタートを切ることになりました。休職明け初めはスロースタートでしたが、徐々に慣れてきてからはとにかく多くのことを吸収しようと積極的に学びました。

特に勉強になったことは、トヨタ生産方式のカイゼンのための考え方やプロセスです。営業になった今でも「なぜなぜ5回」「三現主義」などは大切にしています。真因を突き詰めて改善策を提示するプロセスは営業においても活用しています。

国内工場の生産管理を1年半ほど経験した後、自ら手を上げ、海外子会社との輸出入の貿易業務もさせてもらえるようになり、貿易の知識や経験、海外工場との英語コミュニケーションの経験を積みました。

また、適応障害になったのは会社や仕事のせいだけではなく、自身のメンタルコントロールの未熟さが原因であると自覚しましたので、メンタルを健康に保つため以下のようなことも行いました。

・仕事の昼休みには現場の方達と野球をしたり、ジョギングをして身体を動かす。

・オフにはテニスやサウナ、読書、瞑想といったメンタルの安定に役立つものを取り入れた。

・テニススクールで出会った友人とテニスのグループを作り、 会社以外でのコミュニティに属することで会社への依存度を下げた。

加えて、地元の彼女もできて充実した日々を送っていましたが、「営業をやりたい」という入社当時の思いは消えませんでした。

営業への異動願いが叶わず一度目の転職を決意

新卒4年目になった頃に、上司を通じて人事へ営業への異動の希望を伝えましたが、私の所属する部署の複数名の先輩も営業への異動を希望しているということで順番待ちの状態であり、私の希望は叶うことはありませんでした。

「このままでは20代を工場の生産管理として過ごすことになってしまう」と思った私は、転職で営業に転身することを改めて決意し、初めての転職活動をはじめるのでした。

つづく・・・

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